ここではマイナースポーツとは呼ばせない。中央アルプスのふもと、長野県箕輪町。部活動が盛んで全国大会も毎年開かれる、知る人ぞ知る「フェンシングの町」だ。そしてついに、東京オリンピックで金メダルを狙う箕輪っ子が現れた。西藤俊哉選手、22歳。小さな町の夢をかなえるため、きょうも剣を握る。(田中奏子)
フェンシングといえば太田雄貴さんしか知らなかった。記者は半信半疑で箕輪へ車を走らせた。
「プレ、アレ!」。1月下旬の土曜日、町民体育館では小中学生の掛け声がこだましていた。「長野ジュニアフェンシングクラブ」のちびっこ剣士たちだ。県内に二つしかない子ども向けのフェンシングクラブ。町内だけでなく、諏訪や松本、飯田から19人が通う。
床にはピストと呼ばれる金属製のコート、その脇には審判器がズラリ。剣やマスクは先輩たちのおさがりを使う。南箕輪小6年の保科幸那さん(12)は「駆け引きをするところが楽しい」と汗をぬぐった。
なぜ、箕輪なのか。
1978年、県内でやまびこ国体が開催され、そのフェンシング競技会場になったことが始まりだ。開催の5年前に県フェンシング協会が町に設立され、競技が根付いていった。町内で全国大会を毎年開くほか、箕輪中、箕輪進修高はフェンシング部を持つ。
町は「フェンシングのまち」をPRし、ホームページには特設ページもある。2012年からは学校給食に「フェンシング丼」が出されるまでに。うずらの卵を面に、揚げた春雨を剣に見立てたオリジナルどんぶりで、フェンシングの大会会場や町内の飲食店でも提供され、町の名物フードになりつつある。
長野ジュニアフェンシングクラブで教えるのは、西藤繁さん(50)。社会人までプレーした後に地元で指導者となり、教え子22人を日本代表に育てた。その1人が、俊哉選手。3年前の世界選手権で2位に輝いた町のヒーローは、繁さんの長男でもある。
◇
俊哉選手がはじめて剣を握ったのは、5歳のとき。スーパー戦隊「百獣戦隊ガオレンジャー」になりたかったからだ。
「不器用でくそまじめ」。繁さんの息子評だ。練習ではいつも1人だけ汗だくだった。
信条は「努力で天才に勝つ」。それが最初に花開いたのが2017年。無名から一気に世界2位に駆けあがり、その年の日本選手権も制した。あの太田雄貴さんの後継者とも言われるようになった。
しかし、順風満帆とはいかなかった。徹底的に研究され、1回戦負けからはい上がれない。試合前は負けるイメージしか浮かばず、剣を持つ右手の震えが止まらない。「2位はたまたま」。周囲のそんな声も耳に届くようになった。
昨年4月からは法政大を休学。フェンシングに集中できる環境を作ったが、調子は戻らなかった。
身長178センチでも、この世界では小柄なほう。フットワークと動きのキレで間合いを一気に詰める。力強くダイナミックなフェンシングが武器だった。
どん底の中で、自分を見つめ直した。世界2位というプライドが邪魔をして、自分が持っているものだけで戦おうとしていなかったか。くそまじめさが失われていなかったか。
「もっともっと、人より努力しないと。東京オリンピックは人生をかける価値がある。やってやる」
勝負の年を前に、気持ちは吹っ切れた。現在の拠点は東京のナショナルトレーニングセンター。勢いまかせに突っ込むだけでなく、すばやい剣さばきで相手の隙を突く。そんな繊細な技術も磨き始めた。
不器用だっていい。小学生のときに抱いたオリンピック金メダルという夢。それをかなえるその日まで、箕輪の剣士は努力を惜しまない。
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March 02, 2020 at 08:30AM
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