Tuesday, September 8, 2020

<わたしの転機>地魚広め、食卓を豊かに ホテルウーマンから大型鮮魚店社長に - 東京新聞

イワシなどの新鮮な地魚をアピールする梶山美也さん=愛知県美浜町で

イワシなどの新鮮な地魚をアピールする梶山美也さん=愛知県美浜町で

 名古屋市の南に延びる知多半島。その先端近くにある大型鮮魚店「魚太郎」本店(愛知県美浜町)を切り盛りするのは、かつてホテルウーマンだった社長の梶山美也さん(56)だ。就任して13年。多くの世界の著名人をもてなした経験も生かして運営の改善を進め、年間100万人以上が訪れる人気店に育て上げた。 (平井一敏)

 子どものころから海外に憧れていて、地元の高校を卒業後、米国の大学に留学しました。帰国後、東京の広告代理店を経て一九九三年に外資系ホテルに入社。翌年に都心に開業するのに際し、マーケティングの責任者として招かれました。客室を少なくし、手厚いサービスを提供する新しいホテル。多くの人に選ばれ、日本を代表するホテルになるよう毎日奮闘しました。

 「魚屋を手伝ってくれ」。体をこわした先代の父から電話でそう言われたのは二〇〇五年の春。キャリアアップを目指してホテルを辞め、新天地を探し始めた時でした。私は三人姉妹の長女。魚の知識が乏しいこともあり、悩みましたが、「これも運命」と覚悟を決め、数カ月後に大学教員の夫を東京に残し、娘と二人で知多に移ってきました。

 創業十年だった当時の店も、それなりにはやっていました。でも、父の下で働き始めると、もったいないと思うことがあった。前日に仕入れた魚が並ぶ売り場。競り権を持ち、近くの漁場で水揚げされたばかりの地魚を売れるのが強みなのに。〇七年に父と社長を交代し、改革を始めました。

 毎日、長靴を履いてスタッフと一緒に魚を仕入れて店頭に並べ、接客もしながら、少しずつ変えてきました。鮮魚売り場はとれたてのイワシや釜揚げしらすなどの地魚を中心にして、魚をさばくサービスを開始。調理が苦手な人のために総菜コーナーも設けました。変化とともに売り上げが上がり、みんなに信頼してもらえるようになりました。

 一〇年には車で三十分ほどの愛知県半田市に海鮮料理店を出店。その日の朝に仕入れた魚を開店までに届けられる範囲で鮮魚店の拡大にも挑戦し、海のない岐阜県可児市を皮切りに愛知県大府市、一宮市に出店しました。外に出て行くことで競争にさらされ、新しい商品やサービスのアイデアが生まれる。本店のレベルも一層上がりました。

 お客さまの目や要望は日に日に変化しています。私たちも進化し続けなければいけません。今の私の一番の強みは、一緒に会社を大きくしてきた仲間がいること。より多くの人の食卓を豊かにできるように、みんなで力を合わせて新しいことに挑戦していきます。

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